谷内六郎の死因と奥さんと家族は?美術館はどこ?子供が寄贈された作品を返却要請したのは本当?

芸能

NHKの日曜美術館で谷内六郎(たにうちろくろう)さんがとりあげられます。

谷内六郎さんといえば、昭和の絵というイメージが広がりますが、その絵を見るととても懐かしい気持ちになります。

谷内六郎さんはとても家族思いだったという事がわかり、妻(嫁)や、奥さんとの出会い、お子さんの事なども調べてみました。

スポンサーリンク

谷内六郎さんの死因と生い立ち

東京で9人兄弟の6男として産まれます。

駒沢尋常高等小学校卒業の後、喘息に悩まされながらも見習い工員などをし独学で絵を学びました。

戦後銀座の該当で政治風刺漫画を描き1945年に左翼系の新聞『民報』に4コマ漫画を連載されました。

1956年『新刊新潮』の創刊号から表紙絵を担当。

1958年 人形作家の熊谷達子さんと結婚。

1975年に神奈川県 横須賀市にアトリエを構えました。

1981年(昭和56年) 1月23日 急性心不全の為59歳という若さで亡くなられました。

スポンサーリンク

 谷内六郎さんの家族は?奥さんとの出会いは?

谷内六郎さんは、37歳の時に熊谷達子(くまがや みちこ)さんとご結婚されました。

もともと谷内六郎さんのファンであった熊谷達子さんが谷内六郎さんの元を訪れるうちに親しくなり結婚に至ったそうです。

ファンから奥さんになられたというすごい展開ですよね。

熊谷達子さんは、谷内六郎さんと結婚する前は人形作家として活躍されていました。

熊谷達子さんの作品

1950年代にトッパンの人形絵本『マッチ売りの少女』『七ひきのこやぎ』『へんぜとぐれーてる』

人形アニメーション『ペンギンぼうやルルとキキ』などの代表作を劇作家の飯沢匡(いいざわ ただす)さんやデザイナーの土方重美(ひじかた しげみ)さんらとともに手がけました。

熊谷達子さんは谷内六郎さんと結婚後、谷内六郎さんの喘息の看病をする為に人形制作は辞めたのだそうです。

画家である谷内六郎さんを支え続けたからこそ25年間新潮の表紙絵を描き続ける事ができたのでしょう。

とても強い愛情と絆を感じます。

谷内六郎 いつか見た夢[本/雑誌] (とんぼの本) / 谷内六郎/著 谷内達子/著 橋本治/著 芸術新潮編集部/著
スポンサーリンク

谷内六郎の子供

谷内六郎さんと熊谷達子さんとの間には2人の子供が生まれました。

1962年に長女の広美さんが誕生します。

谷内六郎さんが40歳の時にお子さんが誕生したという事になります。

もう一人のお子さんについては情報が得られませんでした。

谷内広美は結婚して森広美に

長女の広美さんは、芸能プロモーター 元オフィス北野社長の森昌行さんの妻です。

スポンサーリンク

返却要請について

2010年に、寄贈した谷内氏の全作品の返却を横須賀市に要求したことがあります。

(当時の価格で約7億9千万円)原因は横須賀市長が、広美さんのアドバイザーとしての契約の打ち切りだと言われています。しかし、現在も谷内氏の作品は横須賀美術館にありますし、広美さんはアドバイザーとして講演もしていますから、なんとか収まったのではないかと思われます。

大事なお父さんの作品ですもんね。側で大切にしたい思いは分かります。

created by Rinker
¥1,100 (2024/04/26 13:13:59時点 楽天市場調べ-詳細)

美術館の場所

〒239-0813

神奈川県 横須賀市鴨居 4丁目1

電話 046-845-1211

開館時間 10時~18時  月曜休館

スポンサーリンク

父親として

谷内六郎さんはとても子供が好きでイクメンぶりも発揮されていたようです。

お手製のおもちゃで子供と遊んだり、即興で物語を作り子供をねかしつけたりとしてくれていたそうです。

長女の広美さんによると、お父さんの六郎さんはお仕事の時も子供と一緒で絵具も子供が使うサクラ12色の水彩絵の具を自分の膝にのせて団らんを楽しんでいたそうです。

子供達が小学校にあがったら、お弁当を作って届けることもしていたそうです。

子供2人で前後10年間、近所の学校へお父さんも一緒に通っていたというエピソードもあります。

とても子供が大好きでいいお父さんですよね。

でもそういうお父さんでも怖いところがあったそうです。

集中して絵を描いている時はとても近寄りがたかったそうです。

谷内六郎さんは59歳という若さで亡くなられていますが、長女の広美さんがそれがお父さんの寿命だったと実感しているそうです。

谷内六郎さんはふつうの何十倍も仕事をしてきたので、終わる時がきたのだと理解されたそうです。

病気があったから絵があったと思う。

家ではひょうきんな人だったと話されています。

とても幸せな家族であまり辛い事は子供には見せない強いお父さんだったのではないかと思います。

『週間新潮』の表紙絵だけでも1300点余りあるそうなのですが、それは全仕事の3分の1位でそれ以外の仕事が膨大にあったそうです。

谷内六郎さんは絵を売るという事をされなかったので、作品のほとんどが家族の元に残されたそうです。

お父さんの形見となった絵は、現代でも受け継がれていて、美術館をはじめ、目にした人を懐かしい気持ちにさせてくれます。

昔、自分が母親や父親に読んでもらった絵本や、ふと目にした絵が頭に鮮明にのこっている感覚が蘇ってきます。

スポンサーリンク

まとめ

  • 谷内六郎さんは急性心不全で亡くなった
  • 家族は奥さんの熊谷達子さん
  • 子供は2人
  • 谷内広美さん(長女)
  • 作品を返却要請した話は本当だった
  • 谷内六郎さんは子煩悩でとてもいいお父さんだった

という事がわかりました。

こんな素敵なお父さんの思い出はずっと語り継がれていくんでしょうね。

【送料無料】 谷内六郎のえのぐ箱 想像のひきだし / 谷内広美 【本】
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
芸能
スポンサーリンク
トモをフォローする
tomoblog

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました