1月19日(19時~)ワールド極限ミステリーでブリトニー・スピアーズがとりあげられます。
デビュー曲の「・・・baby one more time」は、衝撃的なPVとともに、一気に知名度もアップしました。
これまでの13年間の活動
コギャルファッション(制服姿)で歌い、テンポ良いリズムに合わせて、キレの良いダンスがとてもかっこよかったのを覚えています。
ファーストアルバムも順調に売れ、全世界トータル3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得しました。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録するほどでした。
勢いは衰える事なく2枚目のアルバム「Oops!… I Did It Again」もまた全世界トータル2096万枚の売り上げを記録し、3枚目のアルバム「Britney」ではセクシー路線にかえ、私達は今までにないブリトニー・スピアーズを見る事ができました。
コギャルイメージから大人になったブリトニー・スピアーズはまだまだ人気が衰える事なくそのまま走り続けました。
3枚目のアルバムの「Everytime」は当時ジャスティン・ティンバーレイク(当時イン・シンク)との破局を歌ったものとされているようです。
当時のブリトニーは私は大好きなのですが、やはり超有名になってから、パパラッチに追われる日々は続いていたでしょう。
2007年頃から奇行が目立つようになりますが、これまでのブリトニーをわかりやすくまとめてみました。
お騒がせセレブ
2002年にインシンクのジャスティンと破局。
2004年に幼馴染のジェーソン・アレキサンダーと酔った勢いで結婚しましたが、すぐに思いなおし55時間後には婚姻無効を申請し離婚するという騒動が話題になりました。この離婚の時にブリトニーが支払った慰謝料が約5600万円という金額だから驚きです。
同年9月に妊娠中の恋人を捨てたダンサー、ケヴィン・フェンダーラインと結婚する事を発表。
9/18に結婚式を挙げ、10/7に婚姻届けを提出されたそうです。
2004年にはベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ」を発売し休業宣言しました。
2005年9月14日にショーン・プレストンを出産し、母親になってもアルバム制作は続いていました。「someday」のミュージックビデオを披露し大きくなったお腹をさするシーンもありました。
出産数か月後に第二子を妊娠。
2006年9月12日のジェイデン・ジェームスを出産し11月にはケヴィン・フェンダーラインと2年間の結婚生活を終わらせる為に離婚申請を申し立てました。
理由は「夫との妥協しがたい不一致」
離婚協議の結果、翌年3月に親権は共同保有、ブリトニーからケヴィンに慰謝料を支払う事で合意し7月に離婚が成立しました。
2007年1月、前夫のケヴィンと顔やスタイルがそっくりのモデル兼俳優のアイザック・コーエンと親密交際が報道されました。1泊480万円のラスベガスのホテルで宿泊する姿をパパラッチに撮られました。
同年2月アイザックコーエンと交際3か月で破局。
アイザックが目まぐるしい環境の変化に耐えられなかったという事でした。
2007年9月、元夫であるケヴィン・フェンダーラインがブリトニーの度重なる奇行、(バリカンで自ら丸坊主にしたり、パパラッチを傘で叩いたり)ナイトクラブなどの夜遊びから共同で持っていた子供の養育権をブリトニーから奪う書類を裁判所に提出し、その結果、一時的に親権が奪われる事が決定しました。
2007年9月 ブリトニーは当て逃げと無免許運転の容疑で告訴されました。
裁判でブリトニーは今後カウンセリングに出席し、ケヴィンに配偶者のサポートとして月に2万ドル(日本円で約320万円)を払い続けなくてはならないといわれています。
同年にマジシャンのクリス・エンジェルとの交際がパパラッチによって明らかにされました。
同年8月に新曲「Gimme More」を発表。評価は比較的高かったのですが、MTV Video Music Awardsでのパフォーマンスがダンスにキレがなく顔は無表情、露出度の高い衣装で崩れた体型が目立ち口パクのタイミングもあっていなかった為、メディアやネット上に「ブリトニー復帰失敗」などと酷評を受けました。
2008年1月3日ブリトニーは自宅で息子と過ごしていましたが元夫ケヴィン側に息子を引き渡すことを拒否し警察が出動する事態になりました。ブリトニーは何らかの物質による合併症を発症しているとし、精神状態の医学検査を行う為、救急車で病院に搬送されました。
この騒動により子供達との面会権を失ってしまいました。
入院後は大人しく状態も安定し診察に協力的だった事から退院が決定。
その後、父親のジェイミーが裁判所により青年後見人として選出され権限を与えられました。
そして2月には子供達との面会権を得られました。
6月 2006年の離婚依頼続いた親権争いは7月にに和解が成立。フェンダーラインが息子2人に親権を維持する事になりました。
9月 MTV Video Music Awardsのメインとして元気な姿を披露。
見事3冠を獲得し華々しい復活を遂げました。12月に自分の誕生日に「Circus」をリリース。
Womanizerはitunes USAで1週間に28万6千ダウンロードをBillboard Hot 100にて96位から1位という当時歴代最高のジャンプアップによりシングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」以来の1位を獲得しました。
ブリトニーのシングルの中で最も売れたシングルになりました。
その後、父親のジェイミーが裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられました。
2009年4月にバックダンサーと親密な関係が発覚しましたが、不動産投資家で億万長者のジョン・サンダールとの婚約がニュースで報じられました。
出会いはリハビリ施設。ツアー中に再開し二人の関係は親密になりました。そして、サンタモニカのサブウェイで5億円にダイヤの指輪を手にひざまづいてプロポーズしたと話題になりました。
ジョンの親戚が所有するドイツの牧場で結婚式を挙げる計画もあるという話だったのですが、ジョンは「一切、お話する事はありません」と黙秘し、ブリトニーの広報も「全て、事実無根」と否定しました。
2015年にジョンはタリバンのミサイル攻撃を受け帰らぬ人となりました。
ブリトニーは後に「彼は優しい人だった」と話しされています。
2011年12月15日、恋人のジェイソン・トラウィックとの婚約を発表し婚約パーティを開催しましたが、後に婚約解消。
「ジェイソンと私は婚約を解消することを決めました。私はこれからも彼をずっと大切に思い、良き友人としているでしょう」
と表明分で発表しています。
原因としてはジェイソンが忙しく24時間一緒にいたいブリトニーとの絆が薄れていったようです。
2021年9月 恋人のサム・アスガリとの婚約を発表しました。
とってもお似合いの二人ですよね(*´ω`*)
父親ジェイミー・スピアーズを告発
2008年からブリトニーの後見人を務めてきたジェイミー。
2019年に健康上の理由で後見人を辞めた後も病状が回復し、ブリトニーの収入や出費など経済的な部分を管理していたそうです。
ブリトニーは後見人の立場を利用して自分を精神的苦痛に追いやったと批判し、後見人から完全に退く事を要求しました。
ジェイミーはこれを受け入れ「適切な時期がきたら退任する」と発表していました。
2008年のアルバム「サーカス」のヒットで多忙になったブリトニーですが、ジェイミーの報酬が付き1万ドル(約90万)から月16,125ドル(145万)にアップする事を裁判所から言い渡されていました。
2021年7月にロスで行われた審問にリモートで出席したブリトニーは判事に対して、『後見人制度による精神的ダメージの罪で罰して欲しい。私は父を告発します。父を捜査してほしい』と言いました。
審問でも後見人から生活の全てをコントロールされ自由を奪われていたと訴えました。『私に対する後見人の行為は忌々しいほど残酷だった。』
自由に珈琲を飲む事もできなかったそうです。そして
『父親をこれまでとても恐れてきた、後見人制度は父に私の人生を台無しにする事を許した。』
と語られました。
日常生活だけでなく仕事も1週間に70時間働くように強制されていたそうです。
ブリトニーは『私は問題ない。幸せだ。とウソをついてきた。私は現実から目を背けていて、ショック状態だった。精神的な傷を負っている。でも今、皆さんに真実を言う。いい?私は幸せではない。眠る事も出来ず、鬱状態だ。毎日泣いている。渡井は後見人制度を終わらせて欲しいと申し立てできると知らなかった。本当に知らなかった。』
ブリトニーは後見人制度を終わらせるべき理由についてもコメントをしました。
『私はプライバシーを持つ権利がある。人生を完全に生きることができていると思えない。後見人たちは私がリハビリ施設のプログラムの中で生きているような気持ちにさせる。私は結婚して子どもがほしい。この制度は利益よりも害をもたらしている。私は自分の人生を生きる権利がある』
ブリトニーは子宮内避妊用具をいれています。外したくても、周囲が外すために医者に行く事を許してくれなかったそうです。なので、子供を持つ事ができないと訴えていました。
「私は孤独を感じることに精神的に疲れてしまった」。
13年間の終止符
これまで、トップスターとして走ってきた彼女ですが、プライバシーもないまま、そして周囲からは金銭的に依存され続けてきた結果、このような告発にまで至りました。
交際しているサム・アスガリはインスタに「Free Britney(ブリトニーを自由に)」と描かれたTシャツを着たセルフィーを投稿しました。
そしてそれは世界的に有名な歌手のサム・スミス、サラ・ジェシカ・パーカー、ベッド・ミドラー、マイリー・サイラスから「#FreeBritney」を支持するツイートをし世界に広がりました。
“She doesn’t have any human rights.”
— BBC Select (@bbcselect) January 12, 2022
Britney Spears is now a free woman, but how did she end up in a 13-year long conservatorship?
Stream the beginning of story in The #BattleForBritney on BBC Select ▶️ https://t.co/QEmLZdsfT9 | #FreeBritney pic.twitter.com/07SZtGKBdT
仲良く二人で投稿している動画を見つけました。
この裁判で2021年11月12日に決定がくだされました。
「裁判所はブリトニー個人及びその財産に対する後見制度はもう必要ないということを決定した。「従って本日をもって適用は終了する」
ブリトニーは、完全に自由の身であることを発表しました。
そしてブリトニー自身もインスタに投稿しました。
「良い神様。ファンのみんなを愛してます!!!!今日一日、泣いてしまいそうだわ !!!! これまでで最高の日
婚約者のサム・アスガリもインスタに「今日、歴史が作られた」と投稿しました。
ブリトニーが約68億円の自身の財産を管理できるだけの精神状態である事が認められた日でもあります。
ブリトニーは、11月2日にインスタグラムに長文のメッセージを投稿しました。
「この世で一番危険な動物は何も言わずに微笑んでいる女性だ。13年前に後見人になったのは父ジェイミーかもしれない。みんなは知らないことだが、彼にその考えを吹き込んだ人の1人が母だ。私は(後見制度下に置かれていた)年月を取り戻すことはできない。母は裏で私の人生を台無しにした。ずっと『私は関係ない』という態度を取り続けてきた。消え失せろ!あなたは自分が何をしているのかしっかり理解していた。父は後見制度のことを思いつくほど賢くない」
でにこの投稿は削除されていますが、ブリトニー自身怒りがこみあげてきたのではないかと思います。
13年間という長い年月、トップスターとしてひっぱりだこだった彼女が精神を病むというのは必然的だったのではないでしょうか?
そして世界的に有名になったからこそ、父と母の運命をもかえてしまったかもしれません。
今は、自由を取り戻し、婚約者の サム・アスガリ と幸せな人生を取り戻して欲しいと思います。
コメント