12月24日金曜ロードショーでホームアロンが放送されます。
ホームアローンで一躍有名になった主人公のマコーレー・カルキンですが、当時10歳で億万長者になったのはとても有名な話ですね。
そして父親との裁判も有名な話です。
では、今回は裁判の裏側でマコーレー・カルキンに何が起こっていたのか、皆さんに伝えていきたいと思います。
マコーレー・カルキンの両親への思い
彼のマネジャーを務めていた元役者の父親キット・カルキンのことが、物心ついたころから大嫌いだったと回想しています。
精神的・肉体的虐待で母と7人の子どもたちを支配していたが、95年に両親が破局し母親が親権裁判を起こしたことがきっかけで、マコーレーは父の呪縛から脱出しようと決意しました。
マコーレーの稼いだ大金のうちの20%は両親が法的後継人として使えることになっており、このお金で弁護士を雇い親権裁判を繰り広げていました。
そんなふたりに嫌気がさした彼は、法廷後継人を信頼できる会計士に変更し、父親との縁を完全に断ち切りました。
04年にトーク番組『ラリー・キング・ライブ』に出演したとき、
「金や知名度が父を変えてしまったと伝えられているけど、それは違う。
お金のないころから、彼はひどい父親だったんだ。
人間性に問題があるんだよ。
支配的で、子ども相手にちゃんと自分に従っているか試すというクズみたいなことも日常的にやっていた。
僕は超売れっ子になり大金を稼ぐようになっても、自分の部屋どころかベッドさえ与えられなかった。
兄弟と一緒にソファーで寝ていたんだよ。
父は大きなベッドで、大きなテレビを見ていたのにね」
と激白しました。
「今は話すことも会うこともない。そんなことしたいと思わないしね。不幸な話だと思うけど、そんなもんなんだよ。絶縁はごく自然な成り行きなんだ」
マコーレーは06年に自叙伝『Junior』をリリースしています。
そこでも父への複雑な気持ちを綴っているようです。
父親は現在、長年友人だった女性と共にアリゾナ州に住んでいるようですが、マコーレーいわく
「アリゾナにいるらしいってことしか知らない。どこに住んでいるかは分からないし、知りたいとも思わない」
とコメントしています。
虐待を受けていた子役時代
最近出演したポッドキャスト「WTF」で当時マネージャーを務めていた実の父親キット・カルキンから虐待を受けていたことを語りました。
「彼は悪い奴だった。虐待をされたんだ。精神的にも肉体的にもだ。もし見せられるなら君たちに傷跡も見せられるよ」とコメント。「うまく演技をしなかったら殴る」
と脅されたこともあったと明らかにしました。
1994年、映画『リッチー・リッチ』で映画界から離れてしまったマコーレー。
当時、マコーレーの両親は裁判中だった。
マコーレーの財産が争いの原因だったことから「解決するまで仕事はしない」と宣言し、事実上の引退生活へ入りました。
今回のポッドキャストでマコーレーは
「業界から離れられたから離婚は最高の出来事だった」
と痛烈なコメントも。
両親にも仕事にもうんざりしていたことを明らかにしました。
「『もう僕はやめるから。君たちが自分でお金を稼げることを祈っているよ。僕の収入はもうなくなるから』って感じだった」
2003年に映画『パーティ★モンスター』でカムバックするまでの10年間、彼はどんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。
カルキンは子役引退後、結婚、離婚、マリフアナ所持による逮捕などを経て、俳優復帰。
バンド活動も行っていたが、一時は死亡説も流れた。
2016年より俳優活動を本格的に再開し、昨年はコメディー映画「Changeland」に出演。
今回のインタビューでは、恋人のブレンダ・ソングと子作りに挑戦中であることも明かしました。
波乱万丈の人生について、「最悪だったけど、もっと悪い人生だってあり得る。僕の人生もそれほど悪くないんだって気づくのに、ずいぶんかかったけどね。今は満足してるよ」と語られました。
2021年4月 パパになった
ブレンダ・ソングが男児を出産 マコーレー・カルキン(40)とパートナーで女優のブレンダ・ソング(33)との間に、第一子となる男の子が誕生していたことが判明。
名前はマコーレーの亡き姉の名前をとってダコタ・ソング・カルキン
ダコタ(姉)は29歳の若さで事故により帰らぬ人となりました。
姉への思いをこめて、ダコタと名付けたそうです。
パートナーであるブレンダはマコーレーについて、「彼がとても親切で誠実、そして可愛らしくて聡明であることはあまり知られていない。彼がとても特別なところは、マコーレーそのものってところ。自分が誰だかをしっかり分かっていて、100%それで大丈夫だということ。私にとっては、それがすごくセクシーね。彼は、今の自分になるために非常な努力をしてきたから」と称賛していました。
ブレンダとはChangelandの撮影で出会い、交際を開始しました。
ようやくつかめた幸せ。二人で末永く幸せに暮らして欲しいですね♪
マコーレーカルキンのプロフィールと経歴
本名 | マコーレ・カーソン・カルキン |
別名義 | マコーレー・マコーレー・カルキン・カルキン |
生年月日 | 1980年 8月26日 |
身長 | 167.6cm |
7人兄弟(5男2女)の次男、
弟も同じく俳優キーラン・カルキン、ロリーカルキン。
父親は舞台俳優キット・カルキン。
叔母は女優のボニー・ベンデリア。
87年に映画デビュー。
1990年にホームアローンで世界的大ヒットとなり世界一有名な子役としてギネスブック認定となります。
1991年 マイガールも大ヒットし、1992年には続編のホームアローン2に出演。前作と同様に世界的大ヒットとなりました。
この時のギャラが前作の10万ドルから450万ドルまで跳ね上がりドル箱子役としてもてはやされました。
その後もギャラは高騰し続け1993年に出演した『ゲッティングイーブン』と1994年に出演した『リッチー・リッチ』では子役としては破格の800万ドルのギャラが支払われました。
1995年に両親が別れ(元々結婚はしていなかったので離婚ではない)マコーレーが稼いだ1700万ドル(当時のレートで約17億円)を巡って裁判をおこしました。
裁判は、泥沼化し当時テレビでも裁判の行方を見守る人が多かったと思います。
ホーム・アローンの監督であるクリス・コロンバスはこの騒動について、
「どちらがこの子を育てたいかで争うならわかる。でも、このふたりはどちらがこの子の稼ぎを取り続けるのかで争っている。自分が子供の立場だったら、とても悲しいだろう」
とコメントをされました。
10代半ばで重度のアルコール依存症となり酒瓶を片手に街を徘徊する様子が報道されました。
1997年2月 裁判所が『マコーレーの稼いだお金は家族ではなくマコーレーの会計士が管理するように』と命じ4月にマネージャーである父親が全てを放棄する形で裁判は終了しました。
マコーレーは18歳まで裁判で争われた自身の稼いだ金額を知らず、莫大な学に
『辛い事ばかりだったけど、これまでの成果をみたような気持になり、すごくい嬉しかった』とコメントを残しています。
出演作品
- ジブラルタル号の出帆(たびだち) Rocket Gibraltar (1988年)
- いくつもの朝を迎えて See You in the Morning(1989年)
- おじさんに気をつけろ! Uncle Buck(1989年)
- ジェイコブス・ラダー Jacob’s Ladder(1990年)
- ホーム・アローン Home Alone(1990年)
- オンリー・ザ・ロンリー Only The Lonely(1991年)
- マイ・ガール My Girl(1991年)
- ホーム・アローン2 Home Alone 2: Lost in New York(1992年)
- 危険な遊び The Good Son(1993年) – イライジャ・ウッドと共演。マコーレーの妹クイン・カルキンも出演している。死んだ弟の写真にはロリー・カルキンが使われている。
- くるみ割り人形 The Nutcracker(1993年)
- ゲッティング・イーブン Getting Even with Dad(1993年)
- リッチー・リッチ Ri¢hie Ri¢h(1994年)
- ページマスター The Pagemaster(1994年)
- パーティ★モンスター Party Monster(2003年)
- セイブド! Saved!(2004年)
- 男と女の不都合なセックス事情 Sex and Breakfast(2007年)
- The Angry Video Game Nerd(2018年) – 第164話に本人役で出演し、『ホームアローン』のクソゲーをプレイ
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